JAM2025(本選)審査員の、baratti 様、Komei 様、多胡淳 様、ももんぬ 様より審査総評をいただきましたので、公開いたします。
baratti 様
昨今、屋内ライブ会場でのパフォーマンスを競う大会や、1分半の一曲勝負の大会など、さまざまな形の大会が増えてきています。
今回審査をするに当たっては、JAMの基本コンセプトである「ストリートイベント」という、通りかかる一般の方々が鑑賞できるイベントとして、その役割を全うしているステージができているかどうか。
そこを特に重点的に見るようにしました。
以前は、そもそもテクニックが十分なレベルに達しているかどうかが争点でした。
しかし、今はもうその部分は横並びでハイレベルになっています。
そこで大きな要素となるのは、「コンセプトの体現度」に尽きます。
物珍しさでアカペラを見てくれる人が多かった時代と比べると、文化の広がりを感じると同時に、演者としては大変な時代になっているのだなと感じます。
ただ、それは同時に、アカペラを単に「私たちのアカペラ」として捉えるのではなく、「皆の音楽」として捉えることに他なりません。
つまり、言っていることが一周してしまいますが、JAMが始まった頃に出演者やスタッフが抱いていた志と、何も変わっていないということです。
コンセプトの体現度、わかりやすいところで言うと、まず挙げられるのはジャンルへの理解度の深さです。
R&BやJAZZなど、割とはっきりと的が絞られているグループは、そのジャンルの歴史を遡るくらい深く掘り下げる姿勢を持ってほしいと思います。
ジャンル特有の歌い方のニュアンスやステージパフォーマンスには、たくさんの人に「良いな!」と思ってもらえるツボがあり、それは歴史の中でしっかりと培われてきたものです。
知識の有無に関わらず、そうした要素は無意識下で伝わります。
ジャンルに限らなくても、グループとして一番伝えたいポイントは何か、そのための組み立てができているかも重要です。
例えば、リードボーカルがしっかりと歌詞を伝えるバラードを武器にしているグループであれば、それが最も伝わるパフォーマンスになっているかどうか。
「この歌は横並びで歌う必要があるかな? リードが誰かわかる立ち位置の方が魅力的かも」
「コーラスパート、少し手が動きすぎていて、見ている人にとってノイズになってしまっているかも」
「よくある感じで最後に皆で前に出ているけど、その動きは本当に正解かな?」
一度自分たちを俯瞰して客観的に見ることで、よりコンセプトが伝わる表現に気づけるはずです。
隠れテーマとも言える自分の中の価値観として、アジアのアカペラ・コンペティションに出場、また審査をさせてもらった経験から、その場においても活躍が期待できるかどうか、という点も念頭に置いていました。
振り返ると、そのときに出場していた海外のグループは、ここで述べてきたことに対して、とても誠実に向き合っていたように思います。
テクニックの面では、もう海外のレベルと全く遜色はありません。
こういった大会で優秀な成績を収めたグループが、どんどん海外のコンペティションにもチャレンジしていってほしい。
国内に限らず、海外との繋がりも増えることで、また一つ階段を登ったアカペラの文化として、そんな未来が訪れることを願っています。
その他、少し細かい話になりますが、アレンジ面でもったいなく感じてしまうグループもいくつかありました。
一朝一夕にクオリティを上げるのは大変ですが、練習中に、どうしても狙いたいサウンドに対して越えられない壁を感じるとき、柔軟にアレンジそのものの方向性を変える姿勢は大切かもしれません。
例えば、盛り上げどころでバックコーラスにロングトーンを使うのは、表現として非常に難易度が高いです。
大きく歌うとリードを隠してしまったり、発音コントロールが難しくなってまとまりを欠いたりします。
その場合は、字ハモを使った方が、はるかに効果を狙いやすいでしょう。
また、当日もコメントしましたが、15分という時間の中で、流れを意識したステージを作るという視点。
大半のグループがそこに強くフォーカスしていなかったため、審査への影響は控えめにしましたが、パフォーマンス最後の曲で「飽き」を感じてしまう瞬間が何度かありました。
逆に、ここが明確に設計されていれば、より好印象になっていたかもしれません。
さて、ここまで少し固い内容を述べてきましたが、とは言え、そもそものアカペラという形態を気楽に楽しむ気持ちは、ぜひ大切にしてほしいです。
僕自身、レパートリーにレミオロメンの「南風」とVOX ONEの「マイ・シェリー・アモール」、そしてオリジナル曲が混在するグループで、大変楽しく、満足のいく大学サークル時代を過ごしました。
突き詰めたところで、100%の完成品にはならないもの。だからこそ、アカペラは長く続けられる価値があります。これからも一緒に楽しんでいきましょう!
Komei 様
■はじめに
JAM2025本選へご出演の皆様、ならびに、本選へのご出演は叶わなかったものの、一次・二次審査へご参加いただきました皆様へ、まずは御礼申し上げます。
「アカペラ」という難易度の高い演奏形態・音楽ジャンルに対し、多くの方が真剣に向き合ってくださったことで、本年もより一層充実した素晴らしいイベントとして成長していることを実感しております。
また、天候が危ぶまれる中でもご来場いただき会場で応援いただいた皆様、配信にて演者にエールを送ってくださった皆様にも、改めて御礼申し上げます。
受け手があってこそ通信が成立するように、聴き手の存在が歌い手の「音楽」を成立させています。
ありがとうございました。
■フレージングと曲の進行力
全体的な技術水準の高さは年々上がっており、今年に関してはハーモニー・リズムはもちろん、メロディやフレージングの美しいグループが多く見られました。
今後、JAMの本選では、すべてのグループが「正しい音を出す」段階から、「今出した音を次の自分の音にどう繋げるか」という段階へ進み、その「繋げ方」が表現として/音楽として妥当かを審査する、というレベルが基準になっていくのだろうと感じました。
音楽には潜在的な「曲を前に進めようとする力」があり、コード、メロディライン、ダイナミクス(音量・音質・音圧・音色)などによって、その「進める力」をコントロールしています。
ロングトーンの伸ばし方(消え入るように切るのか、次の音に向かって圧や密度が高まるのか)、跳躍音の前後(飛ぶ前にパワーが溜まっているようにするのか、飛んだ後を長めに取るのか)、不協和から協和への移行、ドミナントモーションなど、個々のパートにおける旋律をどう歌うか、そして楽曲全体としてどう曲を進めていきたいかを、お互いに演奏の中で主張し合い、調整し合いながら曲を創っていくことで、流れの止まらない、内在的なエネルギーのある、雰囲気の途切れない演奏になります。
曲の進行力についてさらに広げると、音価の長さ、音量差、アクセントの位置、音高による「進める力」、俗にグルーヴと言われるような加速度の感覚についても、同時に考える必要があります。
一見、ベースやボイスパーカッションだけの要素と思われがちですが、言葉の発音やアクセント、スタッカート/テヌート/しゃくり/こぶしといった歌い回し、コーラスのシラブルなど、フレーズに内在するグルーヴ的な要素に注目することで、より自然で洗練された楽曲へと近づいていきます。
■平面ではなく立体のサウンド作り
人間の声のみで演奏するアカペラという形態は、通常の楽器編成と比べて周波数帯域が狭く、リードボーカルに対してコーラスやベースの帯域が被りやすいという特性があります(リードボーカルとコーラスの音域が近いという編曲上の被りと、「日本人の声」という楽器固有の周波数特性による被りの両方が存在します)。
リード、コーラス、ベース、ボイスパーカッションという一般的な編成において、何も考慮せず普段の日本語の発音でコーラスをすると、同じ音色の楽器が同時に音を鳴らすことになり、リードボーカルの声を聴こえにくくしてしまうケースが生じることがあります(オーセンティックなアカペラスタイルとして、あるいは、青春感・ひたむきさの表現としてのこの演奏方法自体が非常に魅力的であることは言うまでもありませんが)。
このような場合、コーラスの発音を例えば金管楽器の響きに寄せ、口をやや平たく、鼻腔共鳴を多めにした発音にする(周波数特性を金管楽器に近づける)ことで、リードボーカルとの被りを軽減し、「リードとは違う楽器が鳴っている」ことによる音像的な奥行きと、金管楽器特有の明るく抜けの良い印象を付加することができます。
また、この音色変化を楽曲のセクションごとに持ち替えることで、Aメロはストリングス、Bメロはシンセ、サビは人間のコーラスとホーンセクション、といったように、楽器編成の変化による楽曲展開が可能になります。
結果として、「人間の声らしい声」が前面に出るセクションの魅力も、相対的に引き立てられます。
「曲」としての展開をより豊かに、楽に、自在にするための方法として、あるいは「人間の声」としての自由さやプリミティブな魅力を最大限に活かすための手段として、ぜひ取り入れてみてください。
ライブ中心の日本のコンテンポラリーアカペラでは実感しにくい部分もありますが、レコーディングや楽曲制作に取り組むことで発見できることも多く、新たな音楽活動領域へ踏み出すことも含めて挑戦していただければと思います。
■アナリーゼと複層的な表現
皆さんは、ご自身のグループで歌唱している楽曲や、原曲アーティストの来歴、作風、ジャンルにおける位置づけなどの周辺情報について、どのくらい語ることができるでしょうか。
楽曲は自然発生的に生まれるものではなく、クリエイターの感性や価値観、時代や社会の潮流、音楽トレンドなど、さまざまな要素の影響を受けながら生み出されます。
置かれた音符がなぜその音なのか、置かれた言葉がなぜその言葉なのかを理解・推測・解釈するためには、生み出されるに至るまでの前提情報についても、可能な限り知識や経験を得て、クリエイターの意図を汲み取るための助けとしていく必要があります。
その上で楽曲分析(アナリーゼ)を行い、自分たちが共感できる部分、そうでない部分(=自分たちなりの理解・推測・解釈で歌う部分)を全体から細部まで詰めていくことで、「自分たちの楽曲として」歌う芯が生まれ、説得力のある演奏へと変化していきます。
編曲段階においても同様で、編曲者による楽曲分析と解釈に基づく再構築が行われるため、原クリエイターだけでなく、編曲者が何を考え、どう解釈したのかという「二つ目のフィルター」を読み解く視点も重要になります。
理解・推測・解釈は、必ずしもグループ全員が完全に一致している必要はありません。
ある人は強い悲しみを、別の人は悲しみの中に前向きさを感じ取る、といったずれがあっても構いません。
人間の感情は0か1かのデジタルなものではなく、グラデーションを持ち、複数の感情が異なる割合で混在し、変化していくのが自然な姿です。
歌詞のストーリーに応じて特定のメンバーの感覚に順番にフォーカスを当てていく演奏はもちろん、リードは悲しみ、3rdコーラスは同じ歌い回しで悲しみを強調し、Topコーラスは明るい母音で希望を、2ndはその中間の母音で空虚さを表現する、といった複層的な表現も考えられます。
あるいは、リードのみが感情を持ち、それ以外は無感情で歌う、夜空・都市・道・雑踏といった情景を役割分担することで、群衆の中の孤独や無理解を描くこともできるでしょう。
こうした表現は、単に「悲しい」「寂しい」といった感情に留まらず、その背景や情景、物語を補完し、観衆の共感をより引き出します。
母音表現は、リードボーカルの歌詞から拾うことをおすすめします。
前述した楽器再現による立体的なサウンドの感覚と組み合わせることで、さらに効果を高めることができます。
■アカペラの常識に対する挑戦
日本のコンテンポラリーアカペラは、各種大会やイベント、サークルライブなど「審査」を中心とした構造や、教育機関ではなく身近な先輩バンドから学ぶ、あるいは見て覚えるという学習スタイルが根強く、私自身も含め、「アカペラとはこういうもの」という先入観に囚われがちです。
その結果、編曲、サウンド、コンセプト、パフォーマンスにおいて、表現の多様性が狭まってしまうことがあります。
「ステージでアカペラをするときは横一列で並ぶべき」と思っていませんか。
なぜベースとパーカッションはステージの端に立つのでしょうか。なぜサビの頭のシラブルはahなのでしょうか。
ぜひ、アカペラ以外の音楽や他ジャンルの芸術にも触れ、異なる常識への理解を試みてみてください。
きっと、「アカペラで取り入れられる、これまでの日本のアカペラにはなかった何か」や、「日本のアカペラの常識に対する新たな解釈や意味」が見つかるはずです。
日本以外のアカペラ音楽や、それに付随する言語、カルチャーもまた、大きな刺激を与えてくれます。
10分前後の短い時間に青春のすべてを注ぎ込むことは、非常に尊く、一生の思い出になります。
その一方で、アカペラという音楽は、社会人になっても、家族が増えても、年齢を重ねても続けることができるようになってきました。
これから続くかもしれない長いアカペラ人生をより豊かなものにするために、そして仮に今後アカペラから離れることがあったとしても、アカペラの常識に挑戦すること、すなわち異なる芸術や世界の常識を知ることは、きっと皆さんの人生を豊かにしてくれるでしょう。
■結びに
アカペラという音楽形態は非常に不安定なもので、少しのコンディションやメンタルの変化で簡単に崩れてしまいます。
荒天対応というイレギュラーな状況の中、演者もお客様も不安を抱えやすい環境でありながら、ホスピタリティと笑顔を忘れず、演者がステージに集中できるように、また審査員が審査に集中できるように心を配りながらイベントをやり切ったスタッフの皆様に、改めて大きな感謝を申し上げます(審査員特別賞を差し上げたい気持ちです)。
本イベントでは審査を担いましたが、その一方で私自身もまた、皆様と同じ一人のアカペラーです。
日本のコンテンポラリーアカペラの潮流の中で、同じ音楽を愛し、迷い、試し続けている一人として、ここで鳴らされた演奏一つひとつを、今この瞬間のシーンの「現在地」として受け取りました。
日本のアカペラは決して完成されたものではなく、まだ揺らぎ、試行錯誤の途中にあります。
その不安定さと表裏一体の自由さが、新しい表現や価値観が生まれる余地であり、私たち一人ひとりが関わり続けることで形を変えていく、開かれた音楽文化なのだと思います。
誰か一人が正解を示すのではなく、演奏し、聴き、考え、語り合う中で、少しずつ更新されていくものなのでしょう。
JAMという場で鳴らされた音楽がここで完結するのではなく、それぞれの活動や日常の中へ持ち帰られ、次の音楽作品やステージ、そして次の世代へと受け渡されていくことを願っています。
そして私自身もまた、皆さんと同じ一人の表現者として、このシーンの中で悩み、学び、音楽を続けていきたいと思います。
これからも、同じ時代・同じ国でアカペラに向き合う仲間として、ともに日本のアカペラシーンを耕し、育てていけたら幸いです。
本イベントに関わってくださったすべての皆様に、心からの敬意と感謝を込めて、本総評の結びといたします。
多胡淳 様
JAMに関わったすべての皆さん、本当にお疲れ様でした。
今年はさらに聞き応えのあるパフォーマンスでした。
ステージを通して、どのグループからも
「自分たちの音楽を届けたい」という強い意志を、はっきりと感じとることができました。
ステージに入ってくるときの佇まい、歌う前のちょっとした仕草、マイクを取ってから最初の一音に入るまでの“間”。
そういった部分も含めて、すでにパフォーマンスが始まっていて、
そこにそれぞれのグループの色や人柄が表れていたのが、とても印象的でした。
堂々とした雰囲気で入ってくるグループもあれば、
少し緊張感を持ちながらも、真剣な眼差しでステージに立つグループもありました。
「今の自分たちの姿」としてとてもリアルで、
仲間と向き合ってきた時間の積み重ねを感じさせてくれました。
持ち時間は15分。
この15分の中で「何を、どう届けるのか」という点については、どのグループもメンバー全員が同じ方向を向き、一つの音楽を伝えようとしていたと感じています。
これは今日のJAM全体としての、大きな成果ではないでしょうか。
その上で、次のステップとして意識してほしいのは、この15分をより効果的に使うための設計です。
同じような曲調が続いて間延びしていないか。
どこで間を取り、どんな流れで音楽を組み立てていくのか。
その一つひとつを意識的にデザインするだけで、
同じ演奏でも伝わり方は変わってきます。
そして、全体を通してもう一つ、特にお伝えしたい点があります。
サウンドの立体感についてです。
多くのグループで、フレーズや各パートのラインはとても丁寧に作られている一方で、
和音として鳴ったときに、少し平面的に聴こえてしまう場面がありました。
アカペラは、ハーモニーを“聴かせる”音楽です。
だからこそ、その瞬間に鳴っている和音の中で、
自分がどんな役割を担っているのかを、もう一段深く意識してほしいと思います。
いま自分は、ルートなのか。
5度なのか。
メジャー3度、マイナー3度、あるいはsus4なのか。
7thなのか、メジャー7thなのか。
あるいは9thなどのテンションなのか。
和音を「音の並び」としてではなく、役割を持った集合体として捉えられるようになると、
サウンドの景色は一気に立体的になり、色彩も豊かになります。
自分のパートの横のラインを追っていくだけでなく、縦に鳴る和音そのものに興味を持ち、「今、ここで鳴っている形」を全員で共有する。
そのための一つのコツは、
めちゃめちゃゆっくりのテンポで、和音の流れを確認することです。
その瞬間、自分がコードの中のどこにいるのかを、
メモに書き出してみるのもとても効果的です。
これは遠回りに見えて、実は一番の近道です。
それができたとき、
ハーモニーの解像度は確実に上がっていきます。
私自身が日頃のレッスンや現場で、何度も一緒に確認しているポイントでもあります。
リズムに関しては、全体としてとても良いところまで来ていると感じました。
さらに一歩進むとしたら、4/4の曲での2拍目と4拍目のタイミングの共有、4拍目から次の1拍目に入るタイミングの共有を
グループ全体でさらに丁寧かつリズムの躍動感を感じながら捉えていくことです。
16ビートのストレート、シャッフル、4beatスイングなど、リズムの種類ごとに“1拍目への入り方”は変わります。
その違いに意識を向けることで、
グルーヴの説得力はさらに増していくはずです。
これからの突破口は、
コード進行にもっと興味を持ち、その流れを“聴かせる”方向へ進化していくことです。
その先に、
皆さんの音楽がより立体的に、より説得力を持って、
聴く人の心に届いていく未来があると感じています。
皆さんの次なる進化を楽しみにしています。
本当に素晴らしい時間をありがとうございました。
ももんぬ 様
本選に進出されたすべての皆さま、本当にお疲れさまでした。
どの演奏からも、アカペラと真摯に向き合い、時間をかけて準備してきたことが強く伝わってきました。
技術的な水準は非常に高く、ピッチやリズム、アンサンブルの精度といった基礎的な部分について、聴き手として大きな不安を感じることなく音楽に没頭できたことは、本選という場に集まったバンド全体のレベルの高さを示していると感じています。
まず前提として、「マニアウケ」と「大衆ウケ」は必ずしも一致しない、という点をここに記しておきたいと思います。
(ここで言う「マニアウケ」と「大衆ウケ」は、優劣を示すものではなく、「作り込みの深さに価値を見出す要素」と「直感的に伝わる要素」の違いを指しています。)
近年のJ-POPを見ても、複雑なコード進行や転調、緻密な音作りを取り入れた楽曲が支持される一方で、単純なメロディや循環コードを軸にした構成が、「わかりやすさ」として多くの人に届いているのも事実です。
どちらに魅力を感じるかは、聴いてきた音楽や置かれてきた環境によって大きく異なります。
大会という場では、その性質上、音域の広さやリズムの複雑さ、アレンジの難易度といった、いわば「作り込みの深さ」や「技術的な難度」に関わる要素が、評価に反映されやすい側面があります。これは、競技として比較を行う以上、ある程度避けられない部分でもあります。
その一方で、アカペラはあくまで音楽であり、「人の心に届くかどうか」という価値そのものが失われるわけではありません。
大会という枠組みの中で、その価値をどのように扱うのか、どこまでを自分たちの表現として引き受けるのかについては、簡単に答えが出るものではないと感じています。
今回の本選では、その問いが、各バンドにとってこれから向き合っていくべきものとして、ステージの随所に立ち上がっていたように感じました。
そのような中で、本選の審査は自然と「上手いかどうか」だけでは測れない領域に踏み込んでいったように思います。
・このステージで何を伝えたいのか
・なぜこの音色、この編成、この構成なのか
・それが、初めて聴く観客にどう届いているのか
そうした点が、演奏全体からどれだけ感じ取れるかを、一つひとつのステージから受け取らせていただきました。
特に印象に残ったのは、技術と表現の関係性です。
高い技量を持っているからこそ、すべてを詰め込むのではなく、どこを選び、どこを手放すのか。
その判断が、音楽の説得力や没入感に大きく影響している場面を多く目にしました。
一方で、表現を絞ることで、強く心に残るステージを作っていたバンドもあり、アカペラという表現の奥深さを改めて感じさせられました。
また、明確なコンセプトを掲げて臨んだバンドが多かったことも印象的でした。
コンセプトがあるからこそ魅力的に映る場面もあれば、発声や音色、和声、ステージングといった細部との間にズレが生じ、意図が十分に伝わりきらないと感じる瞬間もありました。コンセプトを音として立ち上げることの難しさと同時に、その重要性を強く実感しました。
本選はショーレースという側面も持つ場であり、音楽的完成度に加えて、「誰を、どう聴かせるのか」「初見の観客にどのような情報を渡しているのか」という視点も、ステージの印象に少なからず影響していたように思います。演奏者同士で共有されている文脈が、客席には存在しないという前提に立った構成や見せ方が、結果として大きな差を生んでいました。
最後になりましたが、審査という立場を忘れ、純粋に音楽として心を動かされる瞬間が何度もあったことも、正直な感想です。音量や派手さに関係なく、演奏に必然性があり、誠実に音楽と向き合っていることが伝わってくるステージは、強く心に残りました。
今回の本選は、「どのバンドがより上手だったか」を決める場というよりも、「それぞれが何を信じ、何を届けようとしているのか」にこれから向き合っていくための、ひとつの通過点だったように感じています。
ここで得た経験や悔しさ、手応えが、今後の音楽に必ずつながっていくことを願っています。
この貴重なステージで演奏を聴かせていただけたことに、心から感謝します。
これからも、それぞれの音楽を大切に育て続けてください。
※審査員の皆様はアルファベット順ならびに50音順で掲載しております。
改めまして、審査員をお引き受けくださいました、baratti 様、Komei 様、多胡淳 様、ももんぬ 様に深く御礼申し上げます。
ご質問やお問い合わせは CONTACT よりお願いいたします。
引き続き Japan A cappella Movement をよろしくお願いいたします。
Japan A cappella Movement 2025 実行委員会
