JAM

JAM2026 一次審査員のshio 様、たっきー 様、つじむ 様、ファレル 様より、審査総評をいただきましたので公開いたします。

shio 様

みなさんこんにちは、shioと申します。
JAMの一次審査は初めてでしたので新鮮な気持ちで聴かせていただきました。

まず、(これは数年前から思っているのですが)クオリティのベースラインは上がっているな、と感じました。コロナ以降、自分たちの録音を聴いて客観的に改善していく時間が増え、文化として定着してきたのだと思っています。

その中でも、ピッチや縦、グルーヴ感、ダイナミクスの認識、コーラスの発声などがしっかり詰められていてアンサンブルとして聴かせられているバンドと、それぞれがそれなりに正しく歌えているが全体としては微妙にばらけているバンドではかなり明確に差を感じました。

細かな観点はそれぞれのバンドの講評で触れているので、ここでは大きめの話だけしていこうと思います。

やろうとしていることと、その表現方法

自分がJAM2025の二次審査をした時の総評でも書いたことですし、最近の審査で——おそらく今回の他に審査員の方も——中心となる部分かと思います。

アカペラシーンの歴史において、「声なのにこんなことができてすごい!」というだけで評価される時代はもう終わったと認識しており(そうでない方がいたらすみません)、音楽性やオリジナリティなど、声かどうかは関係なく音楽として評価される割合が増えてきていると思っています。アカペラに限らず、Beatboxなど周辺の界隈でも時期の差はあれ同じことが起きています。

そんな中で、そもそも何をしたいのかがしっかりと存在し、それが正しい表現方法を通して聴き手に伝わるというのが非常に重要になってきています。JAMは最もピッチが正確なバンドを決める大会ではありませんし、最も縦が揃っているバンドを決める大会ではありません。もちろん一定のクオリティは必要ですが、二次審査に進める(≒優勝の可能性が1ミリでもありそうな)バンドにおいてはサチっていると思っています。

表現方法というところでは色々な観点があります。例えば発声においては、青春感を押し出した曲であればフレッシュな歌声が適していますし、diva(歌姫)的な曲であれば全員が高いレベルの歌唱力を持っていないといけません。メンバー選びの段階で詰んでいるのではないかという声が聞こえてきますが、そういうものです。英語の発音が悪いという指摘もよくありますが、発音が悪いこと自体が問題なのではなく、自分が歌っている歌詞を理解していないことの方が問題ではないでしょうか?

そもそもJAMに応募した理由は何でしょう。友達と仲良くハモれて楽しいというのは非常に尊いことですが、それと大会に出すことは全く別のことだと思います。大会に出すからには、自分たちの「何か」が全国に通用するのか、というプレゼンが必要になってきます。それがぼんやりとした「上手さ」だとすれば、世の中に上手いバンドなんかゴロゴロいるという話になってしまいます。

少し強めの表現を使いましたが、大会に出すとはそういうことだと思ってください。そもそも大会が全てではないということは言及しておきます。大会とは自分たちのやりたいことのプレゼンバトルです。実際今回の審査においても、通過したバンドは結果的にどれも審査員の誰かしらの心を動かしたバンドとなっているのです。みなさんの推しポイントをここまで届けてください。

ダイナミクス

さて、個別のパートや細かなテクニックについて色々各論を語ることもできますが、ここでは一つに絞り、「ダイナミクス」について話させてください。

曲全体の展開やストーリーを組み立てる上で避けては通れないのがダイナミクスだと思います。つまり、先ほどの「やろうとしていることと、その表現方法」の中で必然的に向き合うことになります(よね…?)。

「ダイナミクスは音量だけじゃない!」と言いつつ、まず最初に目を向けるべきは音量だと思います。本当にシンプルに、A・Bメロとサビの音量をはっきり分けるだけでも、曲に展開が生まれます。これがリード(や、良くてコーラスまで)についてなら割とみなさん理解できるのですが、ベース・パーカスになると突然音量のレパートリーが乏しくなりがちです。まずは展開に合わせて全体の音量制御の意識を統一してみてはどうでしょうか。

各パートについて言えば、たとえばAメロをシンプルに聴かせたいなら、コーラスはさっき下げた全体の音量よりさらに引いたほうがアンサンブルとしては綺麗になるでしょう。この辺りでようやく、「音量だけじゃない」話に入ってもいいかもしれません。「小さく」だけでなく、音色として「遠く」の音を目指すなども良いと思います。ベースやパーカスも、音色やサステイン/リリースの長さなどで存在感をコントロールできるはずです。

ここで少し、音源審査ならではの話をさせてください。

今回、マスターにコンプレッサーをかけ全体の音圧を揃えているバンドが多数ありました。実施規定上エフェクトはOKですし、「対面審査で再現可能なレベルまで」ということであればマスターのコンプレッサーは「再現可能」なのでそれ自体を問題視しているわけではありません。

マスターにコンプレッサーをかけたくなる気持ちは、アカペラに限らず昔からある現象です。審査の際にはさまざまな音源を順番に聴いていくため、他バンドに埋もれないように少しでも大きく聴かせたくなります。これによりどんどん音量が大きくなっていく現象を「ラウドネス・ウォー(音圧戦争)」と言います。

ラウドネス・ウォーの問題点も昔から指摘されており、一つは音質の劣化、一つはダイナミックレンジの縮小です。個人的には今回、後者を感じるバンドがちらほら見受けられました。音圧を上げまくった音源を揶揄して「海苔波形」ということがありますが、ダイナミックレンジについては聴かなくてもファイルを開いて波形を見た瞬間にわかります。

繰り返しますが、マスターにコンプをかけること自体が問題と言っているわけではありません。ダイナミックレンジの縮小が問題です。ダイナミクスのない音源は、全体のバランスが綺麗に整うので一回サラッと聴くだけならいいかもしれませんが、緩急がないのですぐ飽きてしまいますし、また聴こうと思わなくなってしまいます。

YouTubeでも、お手持ちの音楽配信サブスクでもいいので、合唱の音源を検索してみてください。おそらくめちゃくちゃ音量が小さく感じるかと思います。彼らは(少なくとも2026年現在)音圧よりもダイナミクス表現を優先していることがわかります。音源がメインの商用音楽と実地がメインの合唱では話が違うのですが、JAMは実地がメインなのではないでしょうか?とすると、少なくとも実地で再現される程度のダイナミクスは残しておくべきかなと思います。

いずれにしても、自分たちのバンドを大きく俯瞰して見られると良いかと思います。練習をしていると和音1つでいくらでも詰められてしまいますし、実際自分の若い頃もそうだったのでなかなか難しいのですが、結局その1和音の正解は、大きなコンセプトからブレイクダウンしたところにしかないのです。

最終的には大きなところから細かなところまで全部やりきるしかありません。神は細部に宿るというのも事実です。だからみんな沢山練習するのです。できることから一つずつやっていきましょう。

それではみなさん、良きアカペラ人生を。

たっきー 様

このたびは二次オーディション進出バンドの皆さんおめでとうございます!昨年に引き続き一次の審査に携わらせていただきましたが、昨年と比べると応募数自体は若干少なめだったにも関わらず全体のレベルはむしろ上がっているのではと思うほどハイレベルな演奏が揃っていて、今のアカペラシーンのレベルの高さをあらためて実感した1ヶ月間でした。
さて、前回の講評では曲の解釈がいかに大事かという話を説きまして(遡れば出てくるはずなので興味ある方は読んでみてください)、今回もやはり曲や楽譜の解釈がどれくらいの解像度でできているかが演奏の仕上がりを大きく左右しているなと感じたのですが、毎年同じようなことを書くのも芸がないので今回はもう少し具体に寄せた話も含め、演奏を聴いている中で感じたいくつかの重要なポイントについて書こうと思います。

●『届けたいこと』と『届けるための表現』、『表現するための技術』
これはおそらく皆さんも一観客としてきっと感じたことがあるのでは思いますが、聴いている人の心が動かされる演奏というのは必ずしも『歌唱技術の高低』だけに依存するわけではありません。演奏自体には多少の粗があっても“届く”演奏もあれば、とても上手なはずなのにいまいち“届いてこない”演奏もあります。その違いとは一体なんでしょうか?さらにいえば、観客の心を動かす演奏の条件とは何なのでしょうか。

前提としていい演奏には、それが自覚的であれ無自覚的であれ、自分はこんな音楽をつくりたい・聴き手にこれを伝えたい届けたい、といった意図や目的(=ゴールイメージ)が必ずあると思っています。
そしてその目的を叶える手段、それが具体的な音楽表現であり、その表現を行うために必要なのが演奏技術です。

つまり観客に届く・観客の心を動かす演奏とは何かを大雑把にまとめると
『①大前提として自分たちが作りたい・届けたいものが明確にあり、②そのための表現の選び方が適切で、③さらにそれを体現する技術がある』演奏であるといえます。(もちろんそれとは別に音楽自体の好みや解釈の一致不一致はありますが、それはまた別の問題。)
ですので、やりたいこと自体は明確なのに観客に思うように伝わらない時は単なる技術不足か、もしくは表現の選び方が間違っているかも。逆に演奏技術は十分あるはずなのに観客に届いてないならそもそもやりたい音楽自体がぼんやりしていたり、曲や楽譜の解釈が浅くて表現に落ちていなかったりしていないか。あるいはアレンジされた楽譜という表現の設計図自体に欠陥がないか。
そのあたりを紐解いていくと、バンドにとっての今の課題が明確になっていくはずです。

●コード進行は曲のストーリーライン。『初見の人にもちゃんと伝わるか』の視点も忘れずに
次にハーモニーを作る際の『コード進行』の重要性についてお話ししようと思います。
コード進行とはご存知の通り、Cメジャー(絶対ドでいうドミソ)のコード=和音がどの順に進んでいくかという概念ですが、それ次第でわくわくしたり切なくなったりと曲の感情や雰囲気が大きく変わります。
つまりコード進行はいわば物語におけるストーリーラインにあたる根幹的な要素であり、アカペラにおいてなぜ『和音を正しく綺麗にハモる』ことが大事とされているのか?を掘り下げていくとおそらく一つはここに辿り着くんじゃないかな、と思っています。大雑把に言ってしまうと『和音・コードがちゃんと鳴っているからこそストーリーが分かる』と言っても過言ではないでしょう。
裏を返せば、コーラスの和音のはまりが悪く音が濁っていたりベースのピッチが甘くてコード進行が聞き取れなくなると、観客はたちまち物語のストーリー展開を見失って迷子になってしまいます。ベースのピッチ感が何かと重視されるのもベースというパートが和音の土台部分を作っているからで、これが崩れると曲のストーリーが破綻してしまうからです。

ちなみにこれは尊敬する大先輩から昔教わったことの意訳なのですが、
たとえばkey=Cの曲においてコーラスが「ミ+ソ+シ」を鳴らしていた時に、これはEマイナーという暗めの響きの3和音。でもその下にベースが「ド」を鳴らしていれば「ド+ミ+ソ+シ」=Eメジャー7thという明るくて少しおしゃれな響きに和音になるわけですが、この時聴いている人に「Eメジャー7thの和音が鳴っている」ことが伝わればその時点でハーモニーにおけるベースの最低限の役割は果たせたと言ってもいいかもしれません。
(逆にこのベースが7度のシに引っ張られて半音下がってしまってお洒落に締めるはずの曲がバッドエンドになる悲劇を幾度となく見てきました…合掌)

さらにそのコード進行の話に関連して、演者である限り忘れないでいてほしいのは『自分たちにとっては何百回歌ってきたお馴染みの曲でも、聴いている観客にはこの曲を知らない人がたくさんいる』ということ。
たとえ多少コードを外したとしても元の原曲(の筋書き)を知っていればある程度脳内補正が働きますし、自分たちの演奏を録音で聴く時には当然よく知っている曲なのでついそういう耳で聴いてしまいがちですが、初見の人はそうはいきません。
これは自分自身審査の中で何度も体験したことでもあるのですが、ぜひ一度YouTubeか何かで全く知らない曲のアカペラ演奏(できれば作り込まれた動画作品よりも何かのライブの録画などがおすすめ)を探して聴いてみて、その後原曲の音源を聴いたうえでもう一度その動画を再生してみてください。曲を知っている耳で聴くのと知らない耳で聴くのとでは驚くほど印象が変わることにきっと気づくはずです。
だからこそ、この曲を知らなかった人が初めて演奏を聴いた時にちゃんと進行や展開が伝わる演奏になっているか?という視点を常に持って、コード進行の根幹に関わる音は特にしっかり押さえられるように意識しておきましょう。

●ワンランク上のコーラスに必要なのは、役割意識と表現の引き出し
さて、コード進行とそれをきちんと鳴らすことの重要性について書きましたが、一般的なサークルライブであればそのあたりが分かれ目になりがちな中で、さすがにJAMほどの場になると和音面は十分にクリアできているバンドが多かったように思います。むしろJAMのエントリー音源の中でもわりとはっきりと差が見えたのはもうさらに一段上の『コーラスの表現力と、役割意識の違い』。

そもそもコーラスの役割って何でしょうか。伴奏?脇役?
これを『コーラス=リードを陰で支えるただの脇役』という解像度で見てしまうと、ワンパターンで表現の幅が狭く、ともすればMIDIを再生するように無機質に楽譜の音符をなぞるだけになってしまいますが、これでは決していいコーラスとは言えません。
すべての楽器の役割を口だけで完結させるアカペラという音楽において、時にリードと一緒に字ハモをするシンガーとして、時に心地よいリズムでカッティングするギターのように、時に盛大に場を盛り上げる金管隊のように、あるいは時にはドラマティックに曲を演出するストリングスのように、その時々の曲調や展開に応じてさまざまな役割が与えられているのがコーラスパートであり、七変化する各役割ごとにそれをいかに声で表現するか・そして音楽性豊かに奏でられるかがすなわちコーラスの表現力といえます。
さらにワンランク上のコーラスを目指すための鍵は、普段からさまざまな曲に出てくるバックの楽器の一つ一つのフレージングに着目して表現の引き出しを増やしておくこと、そして歌う際にはまず楽譜をしっかりと読み込んで、このフレーズにおいてコーラスが担うのはどんな役割・たとえるどんな楽器なのかを常に意識する習慣をつけること。そして、コーラス一人一人が自分の役割を生き生きと演じることができればより多層的で立体感のあるアンサンブルになっていくはずです。

●休符の扱い方について:『空白』ではなく『無音という音がある』
今回は審査員にリズム隊が多めということもあり(?)ハーモニーの話を中心に書いてきましたが、リズムに関する話も少しだけ。今回の応募バンドの中でも違いが大きかった『休符の扱い方』について書こうと思います。
具体的にはたとえば休符直前の音がアタックの縦の位置や表現は揃っているのにリリースの位置が揃っていなかったり、あるいはその切り方が人によってばらばらだったり、『音符』はシャッフルビートを意識できているのに『休符』の入りはリズムのグリッドに沿っていなかったり。
実際には音符以上に休符こそがリズムを際立たせる大事な要素で、それはベースであってもコーラスやリードであっても同じこと。休符を空白(ブランク)だと捉えるとどうしても扱いが雑になりがちですが、そうではなく『“無音”という音を鳴らす音符』のように捉える意識を持ってみるのがおすすめです。

●大小それぞれのスケールでのダイナミクス
また演奏をする際に意識したいのが、一曲全体(場合によってはセトリ全体)を俯瞰した大きなスケールでのダイナミクスと、1〜2小節くらいのフレーズ単位・あるいはリズムのループ単位の小さなスケールのダイナミクス。
大きなスケールのほうは『起承転結の作り方』、コード進行がストーリーラインならこちらはさしずめ物語の演出や語り口といったところでしょうか。曲の一番盛り上がるところはどこで、逆に一番静かな部分はどこで、その差(音量だけでなく表現の差も含めて)をどう表現するか。これが意識できていないと曲の印象変化に乏しいのっぺりした演奏になってしまい観客は途中で飽きてしまいます。もちろん必ずしも最大と最小の幅を大きくすればいいという単純な話ではなく展開の付け方はあくまで曲次第・ケースバイケースですが、いずれの場合も曲のどの部分をどんな強さで・どんな表情で・どんなスケールの大きさで歌うのかは必ず意識したほうがいいポイントです。

一方小さいスケールのダイナミクスは、一つはフレーズごとの抑揚表現。たとえばロングトーン主体・あるいはちょっとした対旋律を奏でるような箇所がある時に一つ一つの音をバラバラに捉えるのではなく、1〜2小節くらいの長さのかたまり=フレーズ単位で音を捉えてどうなめらかに音を膨らませるかをぜひ意識してみてください。
またもう一つはリズムのループ単位で見たダイナミクス。周期的な強弱の波やうねりとも言い換えることができますが、アクセントを置くべき強拍がどの位置にあって、そこから次のアクセントまでどんな抑揚の変化でつながっているのか。この意識がきちんと全員で共有できているかがいわゆるグルーヴィな演奏をするための一つの鍵になります。

●おまけ:音源の録り方について
最後にもうひとつ、これはアカペラの演奏の本質からは少し離れるのですが、JAMのような音源審査における音源の録り方について、なかなか普段お伝えする機会も少ないのでこの機会に記しておこうと思います。

・録音はリードを追いかけるつもりで聴いてみる
→普段自分たちの演奏を聴き直す際、どうしても自分のパートの演奏がうまくいったかかに着目してしまいがちですが、より客観的に評価するならまずはリードに耳を傾けるつもりで再生してみるのが一番観客の目線に近い聴き方。
その際に『コーラスが前に出過ぎてリードが埋もれてる』『リードの表現の主張が弱くて誰が主役なのかわからない』『リードが繊細なのにパーカスの音色が妙にうるさい』など、気になった部分があればそこが最適なバランスから外れているポイントで、音源を録る際のバランス調整という点でも、演奏の改善点を探すという点でもこの考え方は有効です。

・「ボイスメモ」は非推奨。音楽用のアプリや録音機がおすすめ
→演奏を録音する際にiPhoneなどのボイスメモアプリ、あるいは会議用のICレコーダーなどを使っている方もいるかと思いますがこれは正直おすすめできません。これらは本来会話を聞き取りやすく録音するために設計されているため音の大きさに合わせて自動的に録音レベルを調整する機能がついていて、静かに歌うところで勝手に音量を上げられ、逆にせっかく盛り上がるところで勝手に音量を下げられてしまいます。録音の際には、ラインで録る場合もエアーで録る場合も、音楽用の録音アプリ(有名どころではPCM録音やGaragebandなど)やレコーダーを使うことをおすすめします。

・音源を下手にいじるのは逆効果
→演奏の録音後に録音ボリュームが小さいからと少し大きくしたり、バラードらしい雰囲気を出すために多少リバーブを足したりといったケースはあるかと思いますが、下手に手を加えたことで逆に演奏の魅力を損ねてしまっているケースが毎年多く見られます。
特によくあるのは強弱の差をつぶして音圧を上げるために用いるコンプレッサー(通称コンプ)をかけすぎているパターンで、ベースの低音の音圧を高めたりリードを聴きやすくしたりなど使い方次第で魅力にもなる一方、下手にかけてしまうと本来演奏にはあったはずの抑揚やグルーヴ感が失われてしまうので注意しましょう。
また、ピッチ補正にも要注意。JAMではそもそも本番の生歌でのパフォーマンスを前提とした審査のため、本番に再現できないレベルの加工はそもそもルール上禁止しているのでまさか提出音源がハモってないからとピッチ補正でごまかしているようなバンドはいないと思いますが(!)、仮にルール上OKという大会であっても、下手に機械的なピッチ補正をかけた結果人間の声の繊細な表現やその魅力が失われ、かえって無機質で味気ない音源になってしまうケースはよく見られます。
少なくとも音源審査においてはYouTubeやサブスク配信に使うような綺麗に整えられた『作品』よりも生歌の様子がリアルに伝わってくる『録音』であるほうが審査する側もステージに立った時の姿がイメージしやすいですし、審査員が求めているのは『綺麗に整えられたアカペラ音源』ではなく『魅力的なアカペラの演奏』。ですから表面的な編集を加えることがプラスに働くことはあまりないと考えたほうが賢明ですし、逆に勝つためには審査音源を配信動画の音源のように作り込まないといけないのではという強迫観念にかられる必要は全くありません。

●最後に
書きたいことがありすぎてすっかり長文になってしまいましたが、総評に書いたこと・あるいは各バンドに対して個別に書いた講評のようなことが自分自身常にすべて実践できているかというと決してそんなことはありませんし、こうした視点を意識しながら練習を繰り返していくうちに少しずつ身についていくものなのだと思います。
今回の審査では数多くの中から30バンドを選ぶのに審査員同士で何時間も議論するくらいには紙一重の差でしたので、今回は惜しい結果になってしまった皆さんも決してめげずに、そして二次進出を決めた方々は気を緩めることなく本番よりレベルアップしたパフォーマンスを披露できるように、ぜひ講評も適宜参考にしながら引き続きパフォーマンスを高めていってください。最後になりましたが、本番素敵な演奏を見られるのを楽しみにしています!

つじむ 様

今回JAM2026の一次審査にて審査員を務めました、つじむこと辻村志帆と申します。私からは2点皆さんにお伝えできればと思います。

1 リードボーカルの説得力
 バンドの組み方、演奏における攻め方には色々な方法がありますが、特にバンドの要として素敵なリードボーカルを置いているグループが多かった印象です。
ただし、存在しているだけでOKというリードボーカルはそういません。リードボーカルという役割をその人の歌声等の個性のみで賄おうとしていないかとまず
は問いたいと思います。今回の皆さんの演奏を聴いていると、”声がその曲に合うから”という理由で、メンバー及び楽曲やコンセプトの方向性をセットで採用し
ているのかなという印象を持ちました。ただしそれは良い素材を提供したまでで、あくまでスタート地点にすぎません。
コーラス・ベース・パーカスはアカペラ特有ということもあり、皆さん”アカペラの練習”として鍛錬を積まなければという意識があると思うのですが、リードボ
ーカルはその点アカペラ特有ではないからか、案外その鍛錬の部分に甘さがあるのではないかと感じてしまうのです。厳しいことを書きますが、リードボーカル
の皆さん、歌声を過信しないように気をつけましょう。声そのものの説得力に満足せず、驕らず、それをどのように利用するのか、いかにこの素材が良いもので
あるかをこのメンバーと楽曲とアレンジとステージングを通して伝えていくか、もっと試行錯誤しましょう。

2 楽譜の読み方について
 楽譜、読んでますか?皆さんの中にある”楽譜を読む”という行為を紐解いていくと、案外そこには違いがあるのではないかと考えます。たとえば、「ahと書かれ
ているからah、ohと書かれているからoh」というように、楽譜にある情報をただ音読しているような演奏になってしまっていませんか。どうしてそこにahが置か
れているのか、どうしてohが置かれているのかという、いわゆる読解としての”読み”が足りていないと感じます。楽譜とは、万人が歌えるための記号として情報
量を限りなくそぎ落としたものです。要は、楽譜上にある情報を網羅したところで、それは出力であり表現とは似て非なるものだと思うのです。
”誰もが読めるもの”を、”そのグループだけが読めるもの”にしていく過程を密にしていきましょう。また、楽譜を用意する側の立場としては、アレンジの際にスキ
ャットを適当かつ意図もなしに置かないという意識も必要でしょう。

皆さんの今後の活動におけるヒントが一つでも提供できていれば幸いです。

ファレル 様

まずはご応募いただいた皆様、ありがとうございました。大会に応募するということは心理的負荷が多くかかるものだと思います。結果がどうあれ負荷のかかるその一歩を踏み出したことによる変化があると思うので、ぜひ結果だけではなく過程を振り返ってみてください。

総評としては3点記載します。

①理性と感性のバランス
皆さんは録音の際に、実際の歌うシーンを想像して歌っていますか?マイクに向かって下を向いて必死に歌っていませんか?録音という言葉およびシチュエーションに引っ張られて、とても丁寧で理性的な演奏になるケースが多くありました。テレビ番組でよくあるような音程の正確さを図る審査であるならそれでよいのですが、今回の審査は音楽としての良さが必要です。音程やリズムが正確であることは演奏を成立させる絶対条件ではありますが、それだけに注力しても「上手い」以上の「すごい」という心を動かすような演奏にはなりません(本当に上手さを究極まで突き詰めれば別ですが…)。演奏を成立させたうえでいかに聴き手の心を揺さぶれるか、自分たちの演奏に聴き入らせるかが重要で、そのキーワードが『理性と感性のバランス』だと考えています。
聴き手の感情を動かすには歌い手の感情を伝える、そして伝わることが必要です。その前提において頭を使っている、よく練習していることがわかるような「理性」的な演奏というのは、演奏そのものではなく演奏の丁寧さにまず意識が持っていかれ、感情を伝えるのに不要なクッションが挟まります。それならば「感性」を前面に出してとにかくパッションで歌えばよいのかと言われるともちろん否です。前述の通り、音程やリズムが正確であることは演奏を成立させる絶対条件です。「感性」だけに全振りすると、音程やリズムが粗くなって感情を押し付けるだけの演奏とも呼べないレベルのものになりかねません。
「理性」的に演奏を成立させつつ「感性」を表に出して、相手に自分たちの感情を伝えていけるか、このバランスがとにかく重要です。しかし厄介なことに演奏する曲および場面によってこのバランスは異なってきます。自分たちの歌はどのバランスが正解なのかを聴き手の反応も踏まえながら考えていけるとよいと思います。そして録音の際には音に集中して「理性」的になりがちなので、「感性」への意識を増やしてみてください。

②全員が歌心を持つ
リードは言わずもがな歌心がないとダメです。ではコーラス、ベース、パーカスの皆さんはどうでしょうか?リードと同じレベルで歌心を持って歌えますという人はこのパートは読まなくて大丈夫です。
 バンドとしての表現の主役はリードですが、他のパートも相応の表現力が必要です。プロのアーティストを見ても、楽器を適当に弾いている、バックコーラスが適当に歌っているなどということはないはずです。しかしアカペラではリードができない・リードをとる自信がないから他のパートに回ることが文化的に根付いている節があり、結果、リードに表現を委ねてしまい、自分は脇役で誰にも見られていないというようなマインドに陥りやすい構造があると考えています。本来あるべき理想としてはどのパートであっても歌心があってリードができるが、リードを譲ってやっているぐらいのマインドではないでしょうか。もちろん歌に自信がないという気持ちはわかります。実際、私も周囲に格が違うと思わされるリードがゴロゴロいて、その人に取って代われるかと言われれば絶対にNOと答えます。ただ、歌心というのは歌の感情を捉えて表現していく力であり、声質などの天性的なものと違って誰でも身につけられるものです。曲に誰よりものめり込み、歌詞のないパートでも感情を込めて歌えることでバンド全員での表現になります。「リードじゃないから」、このスタンスは金輪際捨て去って、歌心を持った演奏をしていきましょう。
 そして、ここで問題になるのがベースとパーカスです。コーラスはまだ歌詞が多少なりあるので表現をしやすいのですが、ベースとパーカスはスキャットあるいはドラムの音オンリーです。歌心を持てと言われてもなかなか難しいものではあると思います。実際、審査をしていく中でベーパの選択する音色やスキャットが良くないケースは相当数ありました。ではどうすればよいのかと言うと、(個人的なおすすめにはなりますが)一人でカラオケに行って自分たちが演奏する楽曲を歌いましょう。それも目一杯感情を込めてください。やはりリードが歌えないことにはいくら歌心と言われても理解しようがありません。自分なりに感情を込めて歌う経験をしてみると、そのリードの感覚を持って自分のパートが演奏でき、リードに合わせた音色やスキャット、抑揚などの選択が自然とできるようになると思います。リードのように歌心を持って演奏するにはリードを知ることが第一です。
 全パートが歌心を持ってリードを歌えて、虎視眈々と主役の座を狙っているがリードがとにかく強い、そんな構図を目指してみるとよいのではないでしょうか。

③楽譜の解釈とアカペラへの落とし込み
 楽譜は音やリズムの指標で、いわゆる演奏の設計図のようなものです。しかし、そこには詳細な表現は記載されていません。正確に言うと指示が詳細に表記されていても、それを音にして表現を決めるのは歌い手です(そもそも「ここはギターで、ここはストリングスで…」などと細かく指示されている楽譜というのが稀だと思います)。つまり楽譜を読んで歌うだけでは解釈が不足しているということです。その音は原曲においてどの楽器の音なのか、原曲がないオリジナル曲であればどういった雰囲気の音あるいは楽器を想定しているのかまで詰めて初めて「楽譜の解釈」がなされたことになります。
そしてここからもう一段階、楽譜の音をギターだと解釈をした後に皆さんはギターの音をそのまま声帯模写しますか?もちろんNOで、ギターの「ニュアンス」を声で表現することを考えると思います。これが「アカペラへの落とし込み」です。ベースにしてもドラムにしてもそのままコピーするわけではなく、アカペラとしてバンドのサウンドに馴染むように、あるいは自身の声に合うように音をカスタマイズする工程が挟まります。バンド講評の中でストリングスのように、エレキベースのようにといった内容を何度か書いていますが、コピーをしてほしいわけではなく、ニュアンスを捉えて落とし込んでほしいというものです(もちろんボイスギターなどで本物さながらの音を出して飛び道具として表現することは大いにありです)。アカペラとして、自分の声としてどう落とし込めば演奏にプラスになるのかをひたすら突き詰めてください。ここに正解はないですし、既存の考えを壊す画期的なものを生み出すこともできると思います。

本当はまだまだ書きたいことがあるのですが、あまり長くなっても読みづらくなってしまうので、このぐらいにさせていただきます。この講評を参考にするもよし、何を言っているんだコイツと思って無視するもよし、音楽に正解はないのでオタクになってどんどん突き詰めていきましょう!

※審査総評は審査員の皆様の50音順で掲載しております。

改めまして、審査員をお引き受けくださいました、shio 様、たっきー 様、つじむ 様、ファレル 様に深く御礼申し上げます。

ご質問やお問い合わせは CONTACT よりお願いいたします。
引き続き Japan A cappella Movement をよろしくお願いいたします。

Japan A cappella Movement 2026 実行委員会